恵信尼さまは、浄土真宗をひらかれた親鸞聖人の妻となられた方です。ご自身のお手紙から、ご誕生は寿永元年(1182)であることがわかっています。 ご往生は文永5年(1268)、87歳の頃であると推測されています。
承元元年(1207)、専修念仏停止の法難により越後に流罪になられた親鸞聖人と、恵信尼さまは国府の草庵において結婚生活をいとなまれました。 結婚された親鸞聖人は、出家僧侶としての戒律をすてて、在家仏教の真意を明らかにしてくださいました。
在家の仏教とは、それまでの出家中心の仏教間にたって、在家の者でも救われるという考え方では決してありません。 さまざまな悩みを抱えて生きねばならない一人ひとりが、お念仏をいただくことによって、人生が支えられるという、真の仏教のあり方をあらわしたものです。
お二人は、ご自身の生活を通して、お念仏の尊さを明らかにし、仏教の精華をみごとに咲かせてくださったのです。
恵信尼さま
こぶしの花
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昭和32年、現在の上越市板倉区で発見された石塔が恵信尼さまの願われた「寿塔」であると認定されて以来、昭和38年に仏婦会員1人20円の献金運動に始まり、 土地購入・施設整備などが行われ、昭和44年には地元板倉町(当時)有志のご協力も得て、会館が建立されました。その会館も老朽化が進んだことから、恵信尼さまの 顕彰に相応しい施設の整備に取り組むことになりました。
第1次の整備事業として土地が購入され、平成16年から平成17年にかけて工事が行われ、石塔周辺の整備が完工されました。この事業に際しては、仏婦総連盟 総会で「こぶしの森金庫」を設置いただき、献金活動を行っていただきました。
その後、国府教区では第1次整備事業の際に除却された会館に変わる施設をとの願いから、3年の歳月をかけて協議を行い、計画を具体化してまいりました。 平成22年6月には、教区内の門信徒並びに地元有志が中心となり、「お念仏の母『恵信尼さま顕彰会』」が結成され、ご廟所周辺並びに会館を長く護持する 環境が整う事になりました。多くの方々の支援のもと、平成23年4月、「こぶしの里 恵信尼さま会館」が建立され、それに伴い、同月には竣工奉告法要並びに 入仏法要、6月には「こぶしの里 恵信尼さま会館」落成慶讃法要を修行いたしました。
平成23年に建立された「こぶしの里 恵信尼さま会館」